音楽関係の仕事 – 私がどうやってプロのミュージシャンになったか その3

ジャッキ―の考え

よさこいチームも数十チームプロデュースしてきて、なんやかんやでたくさんの人からチームの運営相談から人生相談までのってきた、作曲家の柳瀬ジャッキーです。

のべ450チームに曲(や衣装)を提供してきました。

凄い制作実績

100曲以上聞けます

譜面の読み書きもできず、業界にコネもなく、普通サラリーマンだった私が35歳でどうやってプロのミュージシャンになったか 懇切丁寧に書いています。

まずは

その1

音楽関係の仕事 - 私がどうやってプロのミュージシャンになったか  その1
譜面の読み書きもできず、そして全く音楽業界にコネクションもなかったわたしが、35歳で、しかも地縁も全くない私が、どうやってプロの作曲家、ミュージシャンになったのかを書いています

その2

音楽関係の仕事 - 私がどうやってプロのミュージシャンになったか  その2
譜面の読み書きもできず、そして全く音楽業界にコネクションもなかったわたしが、35歳で、しかも地縁も全くない私が、どうやってプロの作曲家、ミュージシャンになったのかを書いています

どうやって音楽関係の仕事につけるか

行動を起こしながらも徹底的に考える私です。

まずは、どこに行くにもギターを持ってゆくようにしました。 帰省する際もです。

そして、時間があれば弾くようにしました。

これで、自分は30半ばにしてプロになるんだという気持ちを潜在意識に徹底的に植え付けました。

次に。

音楽関係の仕事といっても幅広いのですが、プレーヤーとして、そして作/編曲家としてどちらも狙ってゆこうと考えたのです。

プレーヤーとしては第4回目以降にに書きますね。 どうぞお楽しみに。

アレンジを徹底的に勉強しました。

譜面は苦手なので、CDからです。

で誰から一番学んだと思います?

 

めっちゃ意外だと思いますが

 

松任谷正隆さんです!

意外でしょ。

譜面は苦手ですが、ユーミンの譜面も買ってきて研究しました。

それから 井上 鑑さん、Air Play、デビットフォスター

・・・

まずはYOSAKOIの世界で勝負しようと思っていましたから(結局よさこいにはまりすぎました(笑)が)、YOSAKOIソーランの上位チームも徹底的に解析しました。

よそ者、しかもほとんど実績のない私がこの業界で勝つためには

人と違う曲をつくること

これしかないですよね。

こういう状況では、音楽関係の仕事をしている人はみんなわかっておられると思います。

 

でも、ここまでは普通の発想です。

 

さらに考えまくりました。

 

あることに気付きました。

ほぼ100%の音楽制作者は、実際に踊っていない ことに。

まずは、手始めに自分が曲を提供したチームにはいり(それが最初のチーム「かっぽれ」です)、大旗振りをさせてもらいました。

YOSAKOIソーラン祭り1997年 我がチーム「かっぽれ」

新千歳空港のポスターや小冊子にも使われましたよ、この写真

 

当時かっぽれは120-130人くらいいて、パレードの時など、前後左右色んな場所で旗を振らせてもらいましたよ。

それで、どの位置にいるとどんな音の聞こえをするのかだいたいわかるようになりました。

さらに、翌年からは踊り始めました。

北海道では毎週のようにイベントがあり、ほぼ全部のイベントに参加しました。

毎回、音を改良してゆきました。

踊り子のほかにも、「声だし」(MC)もやって、曲のどの部分でお客さんが沸くかをいつも注視していました。

それと。

自分のチーム以外でも、自分が曲提供したチームさんから声がかかれば積極的に地方車(音響車)にのったり、声だしもさせてもらったりして、楽しみつつ勉強してゆきました。

実は

またあるのです。

親しいチームの写真を中にはいって撮らせてもらっていたのです。

祭響スコブルさん、そして その後継とされる いなせ系暁会活頗組さん 等

もう個性の塊のチームで、天才振付師の梅津美由喜さんが率いておられました。

舞台仕立て、しかも少しお笑い の元祖チームです。

その後、あのスタイルのよさこいチームは全国各地にできてゆきました。

 

後日談があります。

お互いの才能を認め合って(たぶん)、その後のべ10数チームご一緒しました。

5年前に急逝されました・・・ まだまだやることはいっぱいあったのに。 ご冥福をお祈りします。

 

もとい。

 

そうやって、自ら踊りながら音を毎回磨いていったのです。

音響施設の悪いところではこういう風に聞こえるんだとか、めっちゃ分離の良いステージだとこんな感じとか。

 

そうこうしているうちに、ジャッキーの曲は音がクリアー、でも高音がキンキンすることもないから、音がつかみやすくてめっちゃ踊りやすいってな噂が北海道各地から全国に流れまして。
 ジャッキーってブランドが確立したのです。

もちろん、音の良さ以外にも生演奏が入っているのでノリがいいとか、構成がめっちゃ凝ってるとか、すごく細かいオーダーにも対応するとか、様々な要因はありますが。

あ、そうでした、常に踊り子の立場で曲を作るので、例えばブレイクを入れる際にここは移動時間とかだいたいわかるのですが、短すぎるとか、長すぎて冗長とか、こちらからもアドバイスするのです。

そんなこんなで、札幌(本当はそのお隣の北広島市)のジャッキーってのはそれなりのブランドになったのです。

その頃には、よさこい以外にも色々とてがけてましたよ。

興味のある方は私に直接聞いて下さいね。

その後、関西京都今村組や長崎のFUKUE・踊浸俱舞隊と海外遠征したり、関西よさこい連合で400人くらいで本場高知に踊りにいったり・・・

また、おいおい書いてゆきますね。

今回は

自分のチーム その2の 恵庭夢創の曲を紹介しますね

dream on dream

実はこの曲、参加ミュージシャンも凄いのです。Zod氏、Tuck Hersey 氏(北海道のNo.1DJ), ラ王(米国西海岸でプロとして活躍)

ラ王と

Z氏と

自分が踊ったり、MCをしない時は、観客席や審査員席で音のチェックしてました。

で、いつも思ったことが

自分の曲が一番音がいいな と

本音です。

その4に続きます

 

音楽関係の仕事 – 私がどうやってプロのミュージシャンになったか その4
音楽関係の仕事 – 譜面の読み書きもできない当時35歳の私がどうやってプロのミュージシャンになったか その4です。 桑名正博さんはじめ有名人の名前がぼんぼん出てきますよ。

 

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