音楽関係の仕事 – 私がどうやってプロのミュージシャンになったか  その1

ジャッキ―の考え

よさこいチームも数十チームプロデュースしてきて、なんやかんやでたくさんの人からチームの運営相談から人生相談までのってきた、作曲家の柳瀬ジャッキーです。

のべ450チームに曲(や衣装)を提供してきました。

制作実績

 

今回はよくいただく質問についてお話ししたいと思います。

サラリーマンをしていた私がどうやって35歳でプロの作/編曲家・プレーヤーになったのか。

音楽関係の仕事 につけたのか

運が良かったのです。

 

これだけじゃ身も蓋もありませんね。

 

商社ー外資系2社を転職した私が次に選んだのは、北海道の環境関連ベンチャー企業

NHKや日経新聞、プレジデント誌にとりあげられるなど華々しかったのですが、案の定 倒産しまして。

 

もともと、地縁も血縁も無い北海道

途方にくれました・・・

 

でも

 

在職時代に仕事・プライベートで色々と繋がりができていたのです。

 

企業や行政、市町村・・・

 

そして何より

 

YOSAKOIソーラン祭り が1992年に立ち上がってたのです

 

13歳からバンド活動&オリジナル曲作りを始めていた私。

バンド活動のかたわら、

DTM 音楽

作りもやっていました。

【ここがラッキーポイント その1】

YOSAKOIソーラン祭りはあっという間に巨大化してゆき、楽曲制作者が足らないという感じに。

ということで、当時アマチュアだった私にも一般チーム、そして企業チームからいくつも依頼がきたのです。

 

【ここがラッキーポイントその2】

NTT東日本と仕事をしていたのですが、NTT東日本チームへの楽曲提供

 

そして

 

北海道の若者の活性化事業

みたいなプロジェクトにも関わることになったのです。

なんと

参加者数万人の 『参加者ネットワーク』の運営にも携わるようになりました。

 

こうやってとんとん拍子に進んでいったのです。

 

まだ第二章、第三章があります。

 

これまた、凄いですよ。

あの有名な歌手や日本で一番売れたハードロックバンドの話もでてくるかも

 

でも

 

いつ声をかけられてもいいように普段から力を蓄えておくのはマストですね。

 

NTT東日本 team N’sJAMにお作りした代表曲を紹介させていただきます。

よくラジオとかでかかっていたのでご存じの方もいらっしゃるかも

その2に続きます

尾崎豊 ライブ - を支えた江口正祥さんとのギグ ライブ配信のお知らせ
譜面の雄読み書きができない*1 のに、35歳で突然プロミュージシャンになった柳瀬ジャッキーです。 この記事の続きみたいなものです。 でも、「正式な」続きは後日に。 あの 江口正祥さんと今年二回目のギ...

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