音楽関係の仕事 – 私がどうやってプロのミュージシャンになったか  その2

ジャッキ―の考え

よさこいチームも数十チームプロデュースしてきて、なんやかんやでたくさんの人からチームの運営相談から人生相談までのってきた、作曲家の柳瀬ジャッキーです。

のべ450チームに曲(や衣装)を提供してきました。

制作実績

100曲以上聞けます

 

前回の続きです。

 

よろしければ、まずはこちらからどうぞ

音楽関係の仕事 - 私がどうやってプロのミュージシャンになったか  その1
譜面の読み書きもできず、そして全く音楽業界にコネクションもなかったわたしが、35歳で、しかも地縁も全くない私が、どうやってプロの作曲家、ミュージシャンになったのかを書いています

 

まずは

桑名正博さんや聖飢魔ⅡのZod親分のことを書く前に

 

やっぱりラッキーだなと

 

わたしゃ ツイてるなと 思った出会いから。

 

北海道に移住して、最初のバンド。

移住者のバンドでしたが。

キーボードで加入してくれたのが

Sugar (シュガー)の笠松美樹さんのプロヂューサーで

シュガーってあの一世を風靡した 『ウエディング・ベル』のユニットです。

近藤房之助さんのサポートなどをしていた

アメリカ南部系のピアノの名手

アベタケシはんが入ってくれたのです。

彼にはよさこいやイベントの曲もレコーディングに参加してもらったり。

そうやって、ストーン・ブラックスとして活動開始。

真冬のニセコスキー場でライブしたり、スェーデンの障害者バンド Pop Cornと共演したり(ボーカルの右近君がパネルを使ってMCしてるのが印象的でした)

北海道移住後は音楽に関してはめっちゃ幸先の良いスタートでした。

 

それと

例の環境ベンチャーの会社には、恐ろしく歌の上手い女性がいて。

特に、ドリカム。

もうそっくり。

彼女は、ドリカムそっくりさんで日本一にもなりましたし、

彼女のバンド EASTは、日本唯一のドリカム公認カバーバンドになったんですよ。

よしだみゃあ 元気にしてるかなあ。

彼女も色々なプロジェクトに参加してくれました。

関西最初のよさこい系祭り YOSAKOIそーりゃ!祭り の初代テーマソングも歌ってくれたし、モノマネもする凄い歌手 あんちくんと二人で寸劇まで。

そうそう、FM曲のジングルなんかも作ったなあ。

 

それから。

 

自分のチームにも、歌がウルトラ上手な女子がいました。

ロッキー琴美さん。

 

とにかく

 

人には超恵まれている わたしです。

 

その後も、民謡日本一のタイトルを多数持っていて、内閣総理大臣賞を取った歌手ともレコーディング活動しましたし、アメリカ西海岸で活躍していたシンガー ラ王も音楽活動していました。

それ以外の方々については次回以降に。

凄い人たちがいっぱいでてきますよ~

お楽しみに!

 

そうそう。

 

今回は少しだけ、曲作りについて書きます。

 

35歳でプロになろうと思った時

 

まずは、徹底的に編曲を勉強しました。

特に研究したのが

 

松任谷 正隆さん

 

そして

 

井上 鑑さん

 

意外でしょ!

同じ土俵じゃ、絶対に他の方々に負けるので、YOSAKOIソーラン、よさこい関係、イベントテーマソング、総踊り曲を徹底的にリサーチして

 

他の人と圧倒的に違う音楽

 

他の人が真似できない音楽

 

を作りました。

 

それだけじゃなく

音楽制作者がほとんどしなかった 「あること」を徹底的にやったのです!

Zepp Sapporoにて

その3に続きます。

音楽関係の仕事 – 私がどうやってプロのミュージシャンになったか その3
譜面の読み書きもできず、そして全く音楽業界にコネクションもなかったわたしが、35歳で、しかも地縁も全くない私が、どうやってプロの作曲家、ミュージシャンになったのかを書いています

 

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